今日は晴天で気持ちが良い
蓮田の駅から歩いて10分ほど行くと
神亀ファンから蓮田の杜と言われているのが
神亀酒造だ
1987年に戦後初めて全量純米にした蔵
住宅街の中でここだけ森のような風情がある
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挨拶もそこそこに見学をさせてもらう
小川原社長は仕込んだ米を触るだけで
吸水率が33%とか30%とかわかると言う
麹室は電熱器で室温30度に保っている
午前3時半から米を蒸す甑に火が入る
5時ごろに米が蒸上がり
放冷機で冷ました米が麹室に運び込まれ
麹屋が台の上でほぐしながらならしていく
これを2昼夜寝かせると米麹の完成だ
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米麹の出来栄えを見ながら「これ食ってみな!」
食べると米の旨味をじんわり感じて甘くておいしい
「米の旨味をしっかり出さないと良い酒はできないんだ。 」
とぽつんとつぶやく
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タンクの入れ替えも見せてもらったが
長年の工夫で合理的に行っている
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熟成用のタンクを見せてもらった
冬は5度、夏場は冷やしていても18~20度に上がる
しかし夏の間温度が上がることでなおさら熟成するとうまくなると言う
商品の回転を考えると5年分は保管してないといけない
ほかの蔵にはない苦労が神亀にはある
手抜きは一切しない
埼玉新聞で逆境を進む経営者たち ジャリ道で
2016年1月に4回小川原良征社長が掲載された
そのなかで
1999年麹屋担当の若手職人が人手不足を補うために
仕込みの手順を省いた。
小川原は
「他の蔵では通用しても、そんなやりかたはうちでは通用しねえぞ」
と怒声
若手職人は反論した。
一色触発の緊張が走った。
小川原はどんな状況であろうと決まった段取りを崩すことを許さない
「一度容認するとなし崩しになって、手抜きが当たり前になる」
小川原は3か月の給料を手渡し若手蔵人を解雇した。
神亀の事務室には写真が飾られている
私が好きなのが奥さんのお父さんが撮った「銀めし」のタイトルの写真
銀シャリを美味しそうに食べている蔵人の表情が実にいい!
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あと一つは1994年料理王国創刊号にのった
今は亡き祖母くらとの写真だ
当時くらは92歳、小川原42歳
くらは小川原をかわいがり
「酒を飲む人には絶対うそをつくな。偽物の酒は造るな」
と幼い孫に言い聞かせ、亡くなるまで小川原を鼓舞し見守り続けた。
小川原氏はそれに応え
3年熟成のお酒の名前を「ひこ孫」と命名し、くらに贈ったのである。
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身を削って重ねてきた苦労の積み重ねが
神亀の熟成純米酒
だからこそ、その酒の味はどこまでも豊かで深く
心に沁み通り
人々を魅了するのかもしれない
今日は年に一度の国税局の鑑定官によるお酒の鑑定の日
一緒にいていいよと言われて
鑑定の様子を観察
太田杜氏も緊張の時間だ
結果は鑑定官も納得の評価
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最後に専務らしいお茶目なところを
特製の焼き芋機、ピザも焼けると自慢・・・・・・
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小川原氏は2月末からフランスのようだ
フランスで日本酒の講演を頼まれたそう
間違った酒の知識が世界でまかり通っている
それを正しく認識させないと・・・・
世界でも闘いの道はまだまだ続く
純米酒が世界で正しく理解される日もそれほど遠くない
最後に近くの小川原商店でお買い物
ここにはいつも神亀の全種類の酒をはじめ
日本の本物商品が集まっている。