神亀の小川原社長は2017年4月23日にご逝去されたが
今でも皆からセンムと呼ばれ続けている。
数々の掲載された追悼記事の中から
印象的な記事の一部をご紹介したい
共同通信の上野敏彦氏は
神亀酒造の小川原良征氏を書いた「闘う純米酒」の本の著者でもある
追想 メモリアル
純米酒に目覚めたのは
東京農大で恩師がつぶやいた
「添加物を入れた日本酒を造っていたら白ワインに負ける」という一言だった。
神亀は戦時中、酒の製造免許を取り上げられそうになったが
祖母くらさんが一人で抵抗し守り切った。
「ばあちゃんはよき理解者で、受験の夜食にかん酒をつけてくれた。」
と話す表情は少年のようだったことを覚えている。
コンピュータが酒を造る時代
神亀では蔵人が合宿して作業に臨む。
「機械は導入したときから壊れるが、人は蔵に入った時から育つ」が信念
 senmu001
dancyuの7月号に藤田千恵子さんは
「これがセンムの見届ける最後の仕込みになるかもしれない」と
新蔵元で娘婿の貴夫さん、太田茂典杜氏双方が
覚悟しながら臨んだ28BYの仕込み。
それは「すべてセンムの言うとおりにやる」と決めた
杜氏率いる蔵人たちの真摯な仕事により、
センムが満足の笑みを浮かべるものとなった。
その祝いの酒を口にしたセンムは
「酒はうめえなあ」 「こたえられねえなあ」と
まるで舞台の口上のような調子で言って、盃を掲げて笑っていた。
本当に幸せそうな笑顔だったので、
それが「さようなら」の盃だったことに私は気づけなかった。
「酒はうめえなあ」。本当に。
そのことを人生をかけて教えてくれた人。
センムがたった一人で歩き始めた道、
その後ろ姿を追って今は大勢の人達が歩いている。
どれほど御礼を言いつのっても言い足りない。
感謝しかない。
朝日新聞  惜別 (平井茂雄)
昔ながらの手仕事を重視した作りが生む酒は
80年代からの吟醸酒ブームと一線を画し、
濃い味と広がる旨味が特徴。
吟醸酒は冷という流れにも
「しっかりとした酒は燗に」と大吟醸も燗に。
「カツ丼には」「チーズには」と食事に合う酒を勧めた。
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昨年3月、純米酒の魅力を伝えようと訪れたフランスで
病魔が発覚した。
「純米酒の文化を残すため、自分が得たことをすべてを伝えないと」
と臨んだ今期の造り。
最後に絞った酒を利き、うなずいた。
「すぐに生酒で出せ」
その5日後に逝った。
いま思えば小川原専務の最後の参加になった
2015年大吟醸を楽しむ会の2次会で
ある蔵元の言った言葉が忘れられない。
「神亀の専務は純米酒のレジェンドなんです。」