福井駅から越前鉄道で松岡駅へ
永平寺にも近い場所である
大吟醸を楽しむ会に出席していただいた
黒龍酒造の黒田さんに迎えに来ていただき工場へ向かう
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ここが黒龍 創業の場所 石田屋だ
黒龍酒造の創業は1804年
初代蔵元は 石田屋二左衛門 である
横には最新鋭の3F建ての工場がある
工場は環境に配慮し見た目は大きな木造の建物のように見える
早速見せていただく
綺麗だ
3Fには見たこともない洗米機があった
黒龍ならではのこだわりで特注で作ったもの
全てはコンピューターで制御されている
黒龍の考え方は手づくりで大事なところと機械の方が効率であるところを
徹底的に追求したのだ
特に洗米はずーっと手仕事だったがこの機械を入れたことで
効率がずいぶん上がったと言う
米の乾燥機も一手間加えるため特注の機械にしたのだと


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 仕込み水は九頭龍川の伏流水
地下75メーターからくみ上げる軟水
コバルトブルーの色が鮮やかだ
味見させていただいたがすっきりとおいしい
 
2Fの麹室の部屋は何と9部屋の多さ
この考え方も黒龍独自のものだ
製品によって変えるのでこれだけの部屋になったそうだ
弓型が独自のものらしい
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弓形が面白い               プレミアム酒はこれで醸す
大吟だけは手づくり感を大切にしていると言う
職人の勘を大切にするために今でも手作業で行う
しかも仕込むのはほかの蔵と違ってドラム缶ほどの小さなもの
この方が管理しやすいからだと言う
品質にこだわり手間暇をかける部分もこの蔵ならではのこだわりである
 
昨年9月に建てられた新社屋にお邪魔した
工場でできたお酒はタンクローリーで運ばれ
ここの倉庫に貯蔵される
そのタンクをブレンダーがブレンドして黒龍の味が出来上がる
まさにブレンダーもキーパーソンである
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久しぶりに水野直人社長とお会いする
平成2年に働いていた協和発酵をやめて帰ってきて
3F建ての工場を建てた
それは杜氏制度はまもなく崩壊すると言う確信を持っていたからだ
その上で経営とはを考えると
機械でやったほうが良い部分と
手づくりでないといけない部分をどう組み合わせるかの勝負だと考えた
背伸びするぐらいの借金をしたがなんとかなると思った
 
それだけではなく流通にも手を入れた
それまでの流通は支払いは盆暮の2回だけの小売店や
冷蔵庫もない小売店も多かった
そして支払いも3か月手形が当たり前の世界だった
流通を整理しなおし生産高も落としても良いと言う気構えがあった
流通の改革を行った後は、生産高は一気に500石まで落ちた
 
しかしこだわった酒質の良さが徐々に消費者の心をとらえはじめ
それからは順調に生産高を伸ばして行った
水野社長の挑戦はなお続く
大吟醸を全国に先駆けて商品化したのだ
名前は 『龍』
一般酒は徹底的に機械化し、大吟は職人の勘を大事にする
これにより、黒龍の品質の高さは全国に大きく浸透していった
今は4000石だそう
 
酒屋さんを大事にすることは水野社長の言葉からわかる
酒屋さんと取引すると言うことは
娘と結婚するようなものだと・・・・・
まさに一生のつきあいをするのだと言う覚悟が必要
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黒龍酒造の大吟は兵庫県東条町の山田錦だが
銘柄の多くは五百万石
福井県は五百万石の生産高全国第2位
生産地の大野盆地は寒暖の差が大きく良い米ができるのだと
JAが協力してくれて精米までして納入しているそう
今興味を持っているのは北海道のお米だそうだ
 
工場を見ると若い人が多いが年配者も交じっている
理由を聞くと
退職した人でお酒に興味がある方を雇用しているのだと
技術の経験はないが人生の経験は豊富なので
若い人とは相互補完の関係になるのだと・・・・
 
品質にこだわり機械と人間の両立を明確化する
スッキリとして綺麗な味が黒龍の真骨頂だが
黒龍がなぜ全国的にも人気なのか
その理由を垣間見た思いがした見学となった
水野社長から最後に嬉しい話が
宮崎に2回程社員旅行を計画したが一度は口蹄疫で中止
そして2回目は新燃岳の噴火で中止にした
又再トライしたいと
是非宮崎でお待ちしています